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河本竜一の受難 殻花桜沙編

あらすじ:とある小さな町の外科医をしている男性、河本竜一。そんな彼の悲運な女性難の話。


 所謂中途半端な人間だった。
 由緒正しき伝統のある家で産まれ育ち、厳しい教育を受け、友人や趣味も縛られ学生時代を送った。
 父親の跡を継いで医者となり、夢だった刑事という職業を捨てて生きて、気づけば40代とそこそこの人生の足跡を付けて来た。

 医者としての生活は、結果としては悪くはなかった。どちらにしろ、人を助けるということは河本 竜一(こうもと たついち)の性に合っていたのだ。彼の仕事ぶりは評判で、老若男女問わず好かれるようないい先生になった。
 子供の頃の夢を未だ捨てきれない部分もありつつも、周囲の人にも助けられて今日まで生きてこれた。

 ――これでよかったのだと思う。

 というより、よかった。と言えるような人生に、自分がしなければ駄目なのだろう。そう思いつつ、仲の良い看護婦が持ってきたブラックコーヒーを口に含んだところだ。

 河本の耳に小気味の良い足音が聞こえた。スリッパにも関わらず「とっとっと」という軽快にご機嫌な足音に、その正体を見る前から頭を抱えてしまう。
 そして扉が無情にも開かれてしまった。

「せーんせっ♪おっはようございま~す!」

 満面の笑みを浮かべた少女がそこには居た。小柄で細身な体型、白い髪を揺らした彼女は「至って健康です!!」という調子を隠すこともなく椅子に座ってくる。

「……ここは病気や怪我をした患者が来るところだっつったよな、殻花」

 苦い表情をした河本がそう言うと、殻花 桜沙(からばな さしゃ)は笑顔を崩すことなく調子の良いまま話を続ける。

「私は河本先生の息抜きを手伝ってあげているんですよぅ♪」
「頼んでねえ」
「えぇ~?じゃあ私が迷惑だって言いたいんですかぁ?」
「迷惑っつーか……、用もないのに来られても困るだろ」
「せんせぇ~、そこで迷惑だって断言しないのが、せんせぇの駄目なところですよ~っ」

 河本は苦い表情をますます苦くする。殻花はそれを見て楽しそうにケラケラと笑い、ところで。と話を切り替える。

「先生、明日お休みですよね?」
「あ?……まあ、そうだな」

 なに。と河本が警戒し始める。なにかよくない話をされる気がする。

「じゃあ、私とデートしま」
「断る」
「って言うと思って~、私事前に旅館の予約取っておいたんです」
「……は?」

 思いがけない言葉に河本は目を丸くする。

「私と1泊2日の温泉旅行、しましょっ♪」
「馬鹿言ってんじゃねえ!!俺には仕事があんだよ!!」
「明日別の先生が担当じゃないですかぁ~、ちゃ~んと許可取ってます♪」
「俺に取れや!!」
「準備もできてますよ~、さ れっつご~♪」

 ああだこうだと言う間もなく、河本は部屋から連れ出されてしまう。
 通りすがった同僚たちが「先生行ってらっしゃい~」などと呑気なことを言う。この世界は全くもっておかしい、自分が不幸になるように出来ているのではないか。そういう考えが河本の頭に過ったが、もう今更抵抗しようがどうにもならなかった。


*


 やたらいい車両と席を取られていた新幹線に乗り、温泉旅館に到着する。この少女はどこから金が出ているのだろうか。

「……そういやおまえってどっかのデケー家のお嬢様かなんか?」
「え~?うふふ、どーでしょーか」

 殻花はくすくすと笑って誤魔化す。いつもそうだ、彼女は河本のなんでもを知っている。好きなもの、嫌いなもの、コーヒーはブラックを飲むが甘い物好きでもあること、紅茶は苦手、ゲームが好きであることなど。
 なのに河本は殻花のことはなにも知らなかったし、教えてくれもしなかった。
 何故かこの少女に気に入られ、付きまとわれている。

「さ、行きましょ」
「……ああ」

 といっても、同僚から許可を得たのであればせっかくの温泉旅行。楽しむが勝ちというものだろう。
 中に入れば、暖色の明るい光が内装を照らした広いロビーが河本たちを出迎えた。上質な素材で建てられ、それだけでなく細かい場所まで手入れが行き届いているのが一目でわかる上品な光景。間違いなく、絶対高い旅館だ。本当に料金が払えているのだろうかこの女は。などといった感動と不安が河本の内心を押し寄せる。

 旅館の女将が「いらっしゃいませ」と頭を下げる。

「2名でご予約の殻花様ですね。こちらへどうぞ」

 そう言われ案内されたのは旅館の奥。それはまた広い部屋に辿り着き、開いた窓から見える光景は所謂絶景というやつだった。
 緑の木々、近くには海が見える。どうやら温泉付きの部屋らしく、あまり人と風呂に入るのを好まない河本にとっては嬉しい仕様だ。
 この光景を見ながらの温泉、食事付き……。なにからなにまで上質なものを黙って用意してくる殻花に、少なからず恐怖さえ覚える。

 女将が去った後、河本はまだ荷物も置かず、はしゃぐ殻花に言う。

「……おまえ、マジで払えてんのか?この金」
「え~?こんな時にお金の話ですか?もっと楽しい話しましょうよ~」
「心配事が多すぎんだよ……」

 河本は後ろ頭を掻く。

「ここまでしてくれんのは嬉しいけどよ、おまえがよくないことをしてるんだったら大人として止めに入らなきゃいけねえだろ」
「信用ないですねぇ、私」
「おまえのことなにも知らないからな」
「もう。本当に大丈夫ですよ、ちゃ~んと正規で支払っていますし、ちゃ~んと法を犯してない綺麗なお金ですから」

 相変わらず真意を読めない表情をしている殻花ではあったが、彼女にしては珍しく説明したほうではある。ある程度納得した河本はようやく荷物を降ろした。
 相変わらず自身が何者であるかを説明する気のない様子には違いなかったが、殻花は呑気に「あっ、見てください先生~!向こうの山、雪が積もってますよ~!」と言ってはしゃいでいる。
 その様子に河本はまた小さく息を吐きつつも、返事をしたのだった。
 

#河本竜一の受難

一次創作

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