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一次創作 2025.2.25 No.19
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生 を 受 け る こ と は 罪 で あ り 、 生 を 望 む こ と は 罪 で あ る
現代より遥か未来。レッドマザーと呼ばれる存在が監視する巨大収容都市「バロック」。
人々は70万年という途方もない長さの懲役を科せられていた。
ある時バロックの中央区に殺人事件が起きた。
知的好奇心に駆られる囚人ヴランと、秩序を司る監視役のリビデルは、殺人事件の真実を追うために奔走する。
引用・参考・影響を受けたもの等
二人の男が路地を歩いている。一人はこの巨大収容都市「バロック」に収容された囚人。そしてもう一人はその囚人に付く監視役だ。
囚人は横暴に監視役に暴言を浴びせる。監視役は反論も抵抗も示さず、囚人を見ていた。それが気に食わない囚人はついに監視役の胸倉を掴み、そして――。
……監視役は微かに目を見開く。目の前にあった顔が消えた。周囲に飛び散る赤が、まるで桜が舞い散るような美しさを感じさせた。
次いで、監視役は後頭部に衝撃を感じる。視界にノイズが走るほどの強さ。「レッドマザーへ伝えなければ」監視役がそれを行動に起こすより先に、頭部が破壊された。
バロック
16世紀から18世紀にかけ、ヨーロッパで流行した芸術様式のこと。誕生はイタリアのローマ、フィレンツェである。
過度とも言える誇張された表現、強烈な光と対比の劇的な表現、ダイナミックな演出が特徴。
バロック中央区。それはAAAランクを付けられた重罪人が収容される区域である。犯罪者が収容される都市に治安の良さなどあったものではないが、それは中央に狭まるにつれより悪化していく。中央区ともなると常人では一秒たりとも暮らすことはできないだろう。
しかし、そんな区域でもある程度の施設は整えられている。監視役であるリビデルはそんな施設の一つである図書館に出向いていた。館長である老人がリビデルに気付いて立ち上がる。
「あんたがあの囚人の監視役か?」
「ああ。世話になっているな」
「早く連れ出してくれよ、あれじゃ他の利用者もやってこない」
リビデルが肩を竦めた様子を見せると、館長は「こっちだ」と言い中へと案内する。レッドマザーの計らいで中はそれなりに豪奢だ。バロックの芸術様式になぞらえ、ステンドグラスからは眩しいほどの光が差し込んでいる。途方もないほどの敷き詰められた本。それを自ら読むほどの知識欲に塗れた囚人が果たしてここに存在するのか。或いは自身の犯罪を芸術だと誇る者であれば、この芸術の塊に感動することもあるだろう。
リビデルは足を止める。そこにその囚人はいた。
自身が本の中に没頭できるように、周囲の机や椅子を勝手に動かしている。辺りには山ほど積み上げられた本。何も知らずにここに来た人間がまず圧倒されることには違いない。
リビデルはため息を吐く。
「東洋に籠鳥檻猿という言葉がある」
本から目を離さず囚人は口を開いた。
「籠の中の鳥、檻に入れられた猿は不自由な生活を強いられているという意味だ。元々ある者が自身と友人を表した言葉らしい」
「もう図書館の利用時間は過ぎてるぞ、ヴラン」
ヴランと呼ばれた囚人は、そこでようやく顔を上げてリビデルを見た。
「学習に必要な時間は無限のはずだが」
「駄々をこねるな、館長も困っている」
「知に貪欲なうちに勉強したほうがいいに決まってる」
「近頃図書館を一人の囚人が占領してると苦情がきてる」
「それが俺だとでも?」
「おまえ以外に誰がいる?」
ヴランはリビデルの半歩後ろに立ち、顰めた顔をして腕を組む館長へと視線を向けた。そしてその視線をまた読んでいた本へ一旦戻してから、諦めたように息を吐いて閉じた。
夕暮れ、オレンジに染まる都市と眩しい空。そしてその眩しさを放つ太陽とは対照的に、空は暗闇に染まりつつあった。
ヴランという男は食えない男だ。それがリビデルの中でのヴランの評価だった。知識欲の塊であり、あくなき探求心の化け物。品行方正ではないし、どちらかと言えば言うことは聞かない囚人。模範囚とは程遠い囚人であることは違いない。しかし、リビデルはヴランという男に興味があった。この男といれば退屈しない。そういう予感がリビデルの中にはあった。
「今日も結局仕事しなかったな」
リビデルがそう言えば、ヴランは鼻で笑う。
バロックで生きている人間は産まれた時から70万年の懲役を科せられる。囚人となった人間たちはバロックから出るために“仕事”をこなしてポイントを稼ぎ、稼いだポイントを支払うことで懲役年数を減らしていくのだ。
「そもそもまともにポイントを稼いでバロックから出たヤツなんて一握りだろう。大体は生涯をバロックで過ごし、死んでいくのがオチだ」
「それでもなにもせずに死んでいくよりはいい」
「……レッドマザーに生み出された監視役の言うことだな。外の世界のほうがいいだなんて誰が言ったんだ」
ヴランの言ったことに、リビデルは少なからず衝撃を覚えた。この地獄のような都市から出れば楽園が待っていると、バロックに住んでいる者は信じて疑っていないからだ。
「おまえは……、外の世界に出たくないのか」
「どうでもいい」
「どうでもいいって」
「外の世界はバロックより立派な図書館があるのか?」
「それは――、……知らない」
「だろ」
ヴランはそう言って笑う。なんとなく言いくるめられた気もするが、監視役も外の世界を知らない。
確かに、外の世界のほうがいい。外の世界に行けば解放される。なんて、誰が言ったのだろう。誰が言い出したものなのだろうか。人は産まれたそのときから罪を背負っている。これはレッドマザーの言葉だ。監視役としてこの身を作られ、起動したその時、レッドマザーはリビデルにそう言った。
生を受けることは罪であり、生を望むことは罪である。その罪の償いのために人間たちはバロックで生きている。そう教えられたのを憶えている。
「向こうが騒がしくないか」
不意にヴランが言う。どこかを見てそう言っているのだと理解し、リビデルはヴランの視線を追った。
路地に通ずる場所に人だかりができているのが見える。同時に警備隊の姿が見え、なにか事件が起きたのだと二人は理解する。
「……おい」
リビデルがなにを言うより先に、ヴランはその方向へ歩き出す。好奇心旺盛な囚人に付くとこれだから困る。リビデルはヴランの後を追った。
「バッソ隊長、どうですか?」
バッソと呼ばれた警備隊の隊長はううむと唸る。
「囚人のほうは首を飛ばされて、監視役は頭を潰されている。殺意が高ぇっつぅのは見てわかるな。一撃で確実に殺すことを考えての殺害方法だろう」
「……囚人のポイント履歴を閲覧しましたが、62,987もあったポイントが何者かの介入により盗られています」
「犯人だろうな、あとは鑑識の結果を待とう……ん?」
バッソが横を見ると、いつの間に居たのか、ヴランがふむふむと頷きながら遺体を眺めていた。
「うわあ!!てめえ、また来やがったのか!!」
「鑑識の結果はいつ頃出そうなんだ」
「俺の話を聞け!!ヴラン、おまえは囚人なんだぞ、これは警備隊の仕事だ!」
「この傷口、レーザーだな」
「だから話を――……なに?」
「見ろ」
ヴランは囚人の首を指差す。
「切り口が焦げて皮膚がくっついている。レーザーは医療では皮膚をくっつけるなど治療に使われる場合もあるんだ」
「ほ、ほう。なるほど」
「しかし、凶器がレーザーである場合はひとつ懸念点がある」
ヴランの語り口にバッソは「懸念点?」とつばを飲み込む。
「レーザーは武器屋で取り扱っていない。囚人たちには取扱が不可能な武器ということだ」
「囚人たちには……?」
「察しが悪いな」
ヴランはバッソを見て笑う。そしてリビデルに視線を投げると、彼を見て言った。
「レッドマザーの関係者であればレーザー製の警棒があるじゃないか」
ヴランのその言葉にバッソは素っ頓狂な声を上げる。
「な、なにィッ!?じ、じゃあ警備隊、あるいは監視役の犯行だということか!?」
「今回は監視役も被害者だからな、警備隊が一番怪しいということになるが」
「き、ききき、貴様、唐突に現れて警備隊を侮辱するなどっ!!万死に値する!!監視役!!早くここから追い出せ!!」
バッソは顔を真っ赤にし、怒りを露わにして叫ぶ。名指しされたリビデルはため息を吐いて「わかった」と言い、ヴランの首根っこを掴みずるずると引きずって行く。「推理の邪魔をするな」と抗議するヴランを無視し、二人は人混みから出るのだった。
「それで、おまえは本当に警備隊の仕業だと思っているのか?」
「可能性はゼロではないとは思っている」
「……じゃあ、誰の犯行だと?」
「ポイントを奪っているからには、目的はそれだ。俺の中でしっくりくるストーリーは、レッドマザー関係者から警棒を奪った囚人が、外へ出るために被害者を襲い逃走した。というものだが……」
「俺もそうじゃないかと思っているが」
「しかし、こうも考えられないか?レッドマザーに捧げるポイントは、一体なにに使われるのか?」
リビデルはヴランの目を見る。その目は知的好奇心に満ち溢れ、獣が興奮状態の時に開かれる瞳孔にも似ていた。
「……なにが言いたい」
「生を受けることは罪であり、生を望むことは罪である」
リビデルは存在しない心臓が早鐘を打っているような気がした。
「巨大収容都市バロックが作り出された際、レッドマザーが言った言葉だそうだ。この世界に必要なのは正しき秩序、そしてそれを創造することを目標として掲げている」
沈みかけの夕日が二人を照らす。赤く燃える太陽が見ている。
「さて、我々がするべきことはなにか?」
完全なる夜が訪れる。太陽が沈み、誰の視線も監視もない夜。二人の企みを知る者は誰もいない。
獣は夜に潜み、そしてそれを暗示するかのようにヴランは笑った。
「悪戯は母が寝静まった頃に。レッドマザーの監視網を搔い潜って中を調べるんだ」
ハンス・クリスチャン・アンデルセンによる童話のひとつに「ある母親の物語」というものがある。
子供が高熱を出し生死を彷徨っている。母親は寝る間も惜しんで必死に看病している。そんな中、老婆がやってきて代わりに子供を看病すると言った。母親はそれに甘え、少しだけ休むことにした。たった少しの睡眠、母親が気づいた時には、子供と老婆の姿はなかった。
子供を取り戻すために、母親の慈悲深き無償の愛で様々な困難を乗り越える話だ。
生み出されたばかりのリビデルは、母親はどうしてたった一人の子供のために自身の身体も精神も犠牲にできるのか理解できなかった。この物語を語ってくれたレッドマザーは言った。
「母親とはそういうものなの。自分の命よりも、子供の命を優先してしまうのよ」
納得はできなかった。何故なら母親だって、母親になる前は一人のなんでもない人間だったのだから。突然自己犠牲に抵抗がなくなるなんてありえないと思ったのだ。
「ではあなたは俺のために、監視役や警備隊たちのために犠牲になるのですか」
リビデルはレッドマザーにそう問う。レッドマザーといえども、返答に困る質問のはずだと思った。そう確信していた。だからこれは、自分でも意地悪な質問だと思いながら言ったものだ。
しかし、リビデルの予想に反して、レッドマザーは慈愛の笑みを浮かべて、淀みも、揺らぎもなく答えた。
「もちろんです」
その時リビデルは、この感情を言語化することができなかった。しかし、リビデルの思考の隙間にそれは確かに明確に宿った。
母親という存在は、愛そのものだと。
レッドマザーの近辺を探る。そう言ったヴランについていき、とある地下鉄へと渡っていた。
元々は中央区から別の区域へ行くのための地下鉄だったのだが、区域を超えての暴動が相次いだため、現在はどの犯罪レベルの囚人においても区域を超えることはできない。廃駅となった路線を歩きながら、ヴランは懐中電灯を前へ照らしている。
「近辺を探るんじゃないのか」
「今探ってるだろう」
「ここからレッドマザーがいる中央塔とは距離が離れている」
「はは、俺たちは謂わばレッドマザーの意向に逆らう反逆者だ。堂々と真正面から行くわけがないだろう」
リビデルは歩みを止める。
反逆者だと?
思考が赤く染まるのを感じていた。
「……俺は監視役だ。おまえの行いを監視するためについて行っているだけだ。勝手に仲間にするのはやめてもらおう」
「監視役は金魚のフンかなにかか?」
「……なんだと?」
「『石鹸と教育は大量殺人ほどの急激な効果はないが、長い目で見ると、それ以上の恐ろしい効力があるのだ』」
ヴランの語り口調には少なからず嘲りがあった。遠まわしな皮肉、侮辱されているのだと理解せざるをえない。
「マーク・トウェインの言葉だ。こう考えたことはないか?教育と洗脳とはなにが違うのか。お前の思考回路はレッドマザーによる洗脳でできているんだよ」
――懐中電灯が落ちる。地面にぶつかりあちこちに光が照らされ、そのまま転がって、止まった。
リビデルはヴランの胸倉を掴んでいた。リビデルの赤い瞳がヴランの瞳を捉えていた。
わからない。
ヴランがなにを考えているのか、ヴランがしたいことがなんなのか。
知的好奇心の獣は、自身の平穏を犠牲にしてまでその欲を満たすことしか考えていないのか。
目の前の男が、リビデルにとってなによりも恐ろしい、誰にも制御ができない化け物に見えた。
実際にはそんなことはない、囚人と監視役であれば監視役のほうが圧倒的に強いのだから。この男を今ここで捕らえて、レッドマザーの前に差し出せば、己はレッドマザーを裏切ることはないし、なにより彼女に認めてもらえるだろう。
「おまえが求めるのは承認欲求か」
ヴランは酷く冷めた声で言った。
「真実を闇に葬り去ってまで、自分の存在意味を定義することが大切か」
「……確定してもないお前の想像上の真実を、こちらに押し付けるな」
「ならば最初に俺が可能性を提示した瞬間に否定すればよかった。謎があれば暴きたい。一度疑問に思ったものは払拭できない」
彼は逸らすことなく、真っ直ぐにリビデルの目を見た。リビデルはヴランの見透かしてくるような目が好きではなかった。“言わなくてもわかる”、そう言われているような気がしてならない目。それは、ヴランがリビデルを信用している証だったからだ。
それが嫌だった。この男は、リビデルが彼に対して興味を持っていることを知っていたのだ。このことをリビデルは一度も彼に言ったことはない。それでも知られている。興味がある。真実というもの、そしてなにより、それよりも、彼がどうやってこの真実を暴くのか。
ヴランという男が、この隠された真実をどうやって暴くのかを。
「おまえも同じだ」
ヴランはそう言って笑う。
「好奇心は猫をも殺すと言うが」
「『人生で必要なものは無知と自信だけだ』、俺だって全てを見通して、確実に勝つと見越して進んでいるわけじゃないさ。わからないから進むんだ」
真実を掴むには次のページを捲るしかない。だからこの男はいつまでも本の中に没頭し、その紙をひたすらに捲っているのだろう。
食えない男だ。だからこそ興味がある。
自分も知的好奇心の獣なのだと、今になって気づいた。